遠慮

遠慮した線ばかりを引く癖を持っていました。
人と人が付き合う時に腫れ物に触るように遠慮したり遠慮させたりしているとお互いの事がわからずじまいになってしまいます。
画材をあつかう時も同様、何処まで鉛筆は黒くなるのか?どこまでやったら紙は破けるのか?それを知らずして画材の長所を引き出す事は出来ません。
それと、画材は意外と自分の強引さも受け止めてくれるし、調子に乗り過ぎると突如自分を受け入れてくれなくもなります。それを経験することが大切。
という事で、この作品で紙と鉛筆にそのことを教えてもらっている途中の様子です。

多少の時間

例えば全力疾走するとして、いきなり全速になることは難しいです。
制作も新しいことを覚えたり新作に挑む場合、感覚が研ぎすまされ絶好調に作業が進むようになるまでには多少の時間がかかります。
この多少の時間をイライラせず楽しく過ごす心づもりがある人はいつの間にかたくさんの事を吸収したりします。
絶好調の部分だけ欲する人は、おそらく本当の充実感や発見が薄いまま一歩踏み出すこともためらいがちになるような気がします。

どうしても

「どうしても大きい絵が描きたい!」と言って大きい絵を描いています。
彼女はこのサイズははじめてです。
少しずつ自分に負荷をかけながら自力を付けていくと、頑張れば手の届く所が見えてきます。
そしてこの位の大きさならすぐにどうにかしてしまうと思います。

2011年彼女は風景からスタートしました。

彼女は失敗に対して臆病になるのではなく、失敗も制作の流れの中に必ずあると思って制作しています。
ですから、失敗も楽しむことができます。
結果、良いものが出来るし、完成したときの収穫も大きいです。

取り入れる為のコラージュ

コラージュ作品を作る為のコラージュではなく、作品にコラージュを取り入れる為のコラージュ作業をしています。なので、次の行程を考えながらのコラージュになります。
完成作品ではこの作業の何%が表に現れるのでしょうか?他の部分をどれだけ引き立てることになるのか?!

ファンヒーター


アトリエで使っているファンヒーターが止まったので表示を見ると室温31度だった。
冬なのに…。
そこで、徹底的に掃除してやればファンヒーターも自分の間違いに気付くだろうと、開けてみると隅から隅までパステルやら木炭やら何か良く分からないおそらく制作で使ったであろうホコリの類いがつもっていて、まあこれだけ色々な制作をしていればしょうがないというか、多彩な制作をしている証拠とうれしくなった。
しかし、この写真をみれば分かるが、人が機能的に合理的に作った物は視覚と理想のみを自分のイメージの範疇で作ったものより随分美しいという見方ができた。
基本は人の生活とより良いものをという欲求かな〜と実感できる。

このファンヒーターはあらゆる条件のもと、製品になってるはず!そこに自由さや個性はほとんど存在しない。その中から必然的に出現したこの形。
ヒントになる。